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何が答えだか知らないけれど、前に進んじまえばみんな同じ迷走暴走逆走上等kirihitoのBlog
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タイトルくらいは不真面目に。
そんなくだらないことはふと思いついただけですが、関係ないけど今日は2本立てですキリヒトデス。

ちょっと更新したいことが多いので2回に分けて記事を書きます。
一個目の記事は、独楽さん、キレさんとこに便乗してまじめに。

長くなりそうなので続きへどうぞ。








フェイクです、はい。
やってみたかったので。
おふざけが過ぎましたね。すみません。

では、気を取り直して。





極論を言ってしまえば、命を代償としたショウは最高のエンターテイメントなのでしょうね。それがどんなに外道な行為であったとしても、人はそれに興奮するんでしょう…。


ちょと論点がずれている気がしますが、自分はエンターテイメントをこういう観点から見たりしています。

話を戻しましょう。


まず、大元の動画を見ました。
ただ、観客が醜いです。
侮蔑の言葉すら浮かびません。
それほど、人間の卑しさを感じました。

人間に対してはそう思いました。

次は動物です。
生きたまま食われる恐怖を自分は知りませんし今後一生死ぬまで知りたくもありません。そんなことが我が身に降りかかっている、餌とされた牛や鶏。彼らにとっては最悪でしょう。食べられるために生まれてきたのではないのですから。

食べる側のトラは、生きがいい?新鮮な食べ物が降ってきて嬉しい?でしょう。肉食獣として当然の行動を行ったまでです。行動としてはですが。これは「自然」ではないので、この場合にいたっては肯定はしません。本当の「自然」でなら食べる側、食べられる側共にリスクを背負っているので自分は肯定しますが。このショウの場合は食べる側は何のリスクも背負っておらず(「自然」な状態と比べたらの話です)イーブンではないのですから。

肯定はしないけれど、トラの行為自体は否定しません。前述したとおり肉食獣ですので、目前に獲物がいたらそうなってしまうのですから。

哀れ(人間のエゴが丸出しですが)なのは牛や鶏ですね。観せるためだけに生餌とされるのですから。生きているのにモノとしてしか扱われていないその状態が悲しくてならないです。

偽善ぽいようなことを書いていますが、本心です。


それでは、ショウそのものについて。
率直に言うと、安易な方向に走りすぎてしまったのかなと思います。

キレさんがおっしゃっていたような、
>例えは極論だが、北海道の旭川動物園とある意味
>努力の方向を間違えたカタチではあるが
>やっていることは同じだと私は考える。
この考えはある意味で納得できますが、どうしても否定したい気もします。その例えはなんでか腑に落ちないのですよ。

このショウと旭川動物園の決定的な違いは、表面的なものではなくその根底あると考えています。
表面的なことでいうならば、どっちも極端な話見世物です。客に観せてうければいいんですから。そうすることで見世物としての商売が成り立っています。商売を成り立たせるために仕事として動物の世話もしたりします。(仕事抜きにして行う方々も居るでしょう。)
表面的なところでは同じです。

その違いは何でしょう。自分は根底にあるものだと書きました。その根底とは何なのでしょうか?

自分は、人間らしさだと思います。

人間に限らずあるかもしれませんが、愛情といった正とされる方向の想いです。他にも、人間が人間である長所として、考えるという行為の結果であるところです。(このようなことを知恵というのでしょうかね)
自分が良い意味として捉えている人間らしさを体現したのが旭川動物園です。飼育している動物達に愛を持たなければできないこと、愛だけでは為しえないことも、考えて考えぬいて形にすること、そのような行為の果てに旭川動物園があるのでしょう。

もうひとつの人間らしさ。
判りやすく言うとエゴ。
もっともそんな簡単なものではないので上手くあらわせませんが…。
一般に負の方向に向いている人間らしさの凝縮したのが、くだんのショウだと思います。

自分はこのショウを、安易な方向に走った、と前述しました。
どこが安易なのでしょうか?
その結果に至るまでの努力が、知恵が、考えが、まったく持って感じられないからです。それは自分の偏見かもしれませんが、ものすごく安易に感じてしまうのですよ。残酷さを見世物にするというところが。(残酷さだけではないですが…。)

安易だと思った理由を述べてみます。
一般に人間は競い合い、闘争、そのようなものが好きです。そうじゃない人も中には居るかもしれませんが、多分ほとんどの人間はその類の行為が好きでしょう。そうでなかったら、その類が根源にあるはずの野球、サッカーなどのスポーツ、K1、ボクシングなどの格闘技、果ては戦争なんて行いません。そのような観点から人間を見ると、人間は危険な行為が好きなんだと思われます。だから、興奮する。
判りやすいじゃないですか。好きなものをダイレクトにあらわしているのですから。だから、自分は件のショウを安易な方向に走ったと思うのです。

例えるならば、旭川動物園は手の込んだ料理(イタリアでも中華料理でもいいです)のような技術の粋を集めたもの、くだんのショウはただただ本能を満たすもの(性欲でも、食欲でもなんでもです。)です。比較対照ですらないですね。

そんなところもコミで一緒にしたくないのもあります。
ともかく共に根底を為しているのは人間らしさですが、表面が同じだからといってまったくもって同じであるとは思いません。同じは同じでしょうが、自分はそれを区別したいです。ただそれだけで変に理屈っぽくしてみました。



蛇足になりそうですが、

負の方向(残酷性、残虐性、破壊衝動、など)に訴えるのは低俗すぎるなと。せっかく文化を作ることができるほどになったのに、後退してどうするのですか?あなたは何のために前へ進んでいるのですか?と思ってしまうの。そういう考えも込みで、あり方として件のショウを行うサファリパークは受け入れがたいです。


また、他の行為(闘牛とか闘犬とか闘魚とか色々)にも言及されいたので便乗。
それらの行為は人間がどう思って行っていようが、極論を言えば人間のエゴに過ぎない。釣りもおなじようなもので、たまにバス釣りの人が言うのは、人と魚の勝負だ、と。極論でくくってまえば人が介在している行為のほぼ全ては人間のエゴによる勝手な思い込みに過ぎないことなのでしょう。
ただ、尊厳を(人間の尺度ですが)もって行為を行うのはまだましな行為かなと思います。持たないよりはましなだけですが…。



まとめが思いつかない…。
人間はもう少しモラルを持った行為ができるようにならないといけないでしょう。
将来はあってほしくはないですが、戦争が最大のエンターテイメントになりそうで怖いです。
過去にあった、拳奴などが闘うローマのコロッセオ。それが復活した日には人間終わったかもと思います。

そんなところで、筆足らずな部分も多々あるとは思いますが閉めさせてもらいます。

次の記事は享楽にふける人間の図です。
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HN:
kirihito
性別:
男性
職業:
へたれ社会人
趣味:
お絵描き、モノ作り、おもちゃ集め、旅
自己紹介:
「ふらぐなんて ないさ
 ふらぐなんて うそさ
 ねぼけたひとが
 かんちがいしたのさ
 だけどちょっと
 だけどちょっと
 ぼくだって しんじたい
 ふらぐなんて ないさ
 ふらぐなんて うそさ」

フラグなんてしらない、でも夜明けを望むキリヒトです。
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