何が答えだか知らないけれど、前に進んじまえばみんな同じ迷走暴走逆走上等kirihitoのBlog
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昨日はいつもの倍以上訪問者がいたw
なんとなく驚いたキリヒトデシタ。
特に話題も無いのでとりあえずこれだけ。
【更新】
思うことがあったので更新。
俺の中身垂れ流しなので見ないほうがいいかもね。
なんとなく驚いたキリヒトデシタ。
特に話題も無いのでとりあえずこれだけ。
【更新】
思うことがあったので更新。
俺の中身垂れ流しなので見ないほうがいいかもね。
【更新】
■云々
藜さん,武器庫さんがぶっちゃけてた…。
あと独楽さんのとこの記事が…。
その他、wikiってやっぱすげーって再認識した。
■自分ごと(これだけだとカテゴリは迷言)
概念の問題。
自分は何を選ぶにも自分は表面云々も多少あるけど直感で選んでいる。そこにある感情は多分「肯定」か「何も無い」の二つしか存在していないはずだ。「肯定」は嗜好に合うという意味で、「何も無い」は衝動とか好奇心、偶然など嗜好にかかわりの少ない要因で選んだという意味で。逆に「否定」するものはそもそも自分と交わらない。「否定」しているのだもの自分から行こうとは思わない。それこそ本当に何も無い。
そんなかんじ。
何事も自分にとって0か+の存在のみをできるだけ選択している。
0なら選んだ瞬間は何も無い。その後もしかしたら+になるかもしれないから選ぶんだろう。
-は-なので最初から躊躇する。その後何がおきても微妙な気がするから
選ばないようにしている。
そういう自分。堅実なのか保守的なのかわからないけど得られるのを選択。失う?のは基本的に選ばない。
そんな自分はトータルで見るともったいないことしているのかもしれない。あらゆるものを受容でき、全てを肯定的に見られ、-さえも+に転じられることのできる人はただただすごいと思う。
■本というか文章が好きなわけ(これも迷言)
文章に限らず、表現されたものが自分は好きだ。その意図を理解できないものであっても、興味はもてる。
表現されたものというのは、本であり、芸術作品(彫刻、絵など)であり、音楽であり、自分の想いを表したモノをいう。
何故好きなのかというと、どうであれそれは他者へ自分を知ってもらいたい想いのように感じるからだ。そうでないかもしれないが、本当に自分以外と隔絶していないかぎり、自分はそう思う。主張するという行為は自分以外へ向けて行うものなのだから。
そんなわけで?、分かり合えないものを分かり合おうとする行為とみなしています。ゆえに、そこには希望があるので好きなのですよ。そこに否定を介入させると自己矛盾が生じるために行いません。否定ではなく受け入れない(スルーする)を選択するだけです。同じようなものか?
意味不明ですね。本当に便所の落書きだ。
■作画について
俺に求めていないと思うけど…。
作画がすごいすごくないの基準について。
自分はそこまで気にして見ていないので思いついたところだけ。
自分の場合はOP映像レベルで本編が流れているかどうかを作画の判定基準の一つにしています。他には、キャラクター原案などと比べ別物になっていないか(似ているか)、変な構造、姿勢をしていないか(変であっても不自然でなければ気になりません)、明らかな手抜きがないか、です。
基本的に気にならないのであれですが…。個人的に大昔の作品は絵柄の関係もあるんですが、手抜きっぽいなあと見たりすることが稀にあるます。手抜きじゃないんだろうけどあっさりしすぎていて気になるなあ、という感じ。これは好みの問題ですねえ。
語ってみたかったので述べました。
こういうのって受け入れても損にもならねえしなあ。気にならんのですよ。
無駄話なだけに無駄に長くなったなあ…。ついでに意味不明な迷言多し。
■云々
藜さん,武器庫さんがぶっちゃけてた…。
あと独楽さんのとこの記事が…。
その他、wikiってやっぱすげーって再認識した。
■自分ごと(これだけだとカテゴリは迷言)
概念の問題。
自分は何を選ぶにも自分は表面云々も多少あるけど直感で選んでいる。そこにある感情は多分「肯定」か「何も無い」の二つしか存在していないはずだ。「肯定」は嗜好に合うという意味で、「何も無い」は衝動とか好奇心、偶然など嗜好にかかわりの少ない要因で選んだという意味で。逆に「否定」するものはそもそも自分と交わらない。「否定」しているのだもの自分から行こうとは思わない。それこそ本当に何も無い。
そんなかんじ。
何事も自分にとって0か+の存在のみをできるだけ選択している。
0なら選んだ瞬間は何も無い。その後もしかしたら+になるかもしれないから選ぶんだろう。
-は-なので最初から躊躇する。その後何がおきても微妙な気がするから
選ばないようにしている。
そういう自分。堅実なのか保守的なのかわからないけど得られるのを選択。失う?のは基本的に選ばない。
そんな自分はトータルで見るともったいないことしているのかもしれない。あらゆるものを受容でき、全てを肯定的に見られ、-さえも+に転じられることのできる人はただただすごいと思う。
■本というか文章が好きなわけ(これも迷言)
文章に限らず、表現されたものが自分は好きだ。その意図を理解できないものであっても、興味はもてる。
表現されたものというのは、本であり、芸術作品(彫刻、絵など)であり、音楽であり、自分の想いを表したモノをいう。
何故好きなのかというと、どうであれそれは他者へ自分を知ってもらいたい想いのように感じるからだ。そうでないかもしれないが、本当に自分以外と隔絶していないかぎり、自分はそう思う。主張するという行為は自分以外へ向けて行うものなのだから。
そんなわけで?、分かり合えないものを分かり合おうとする行為とみなしています。ゆえに、そこには希望があるので好きなのですよ。そこに否定を介入させると自己矛盾が生じるために行いません。否定ではなく受け入れない(スルーする)を選択するだけです。同じようなものか?
意味不明ですね。本当に便所の落書きだ。
■作画について
俺に求めていないと思うけど…。
作画がすごいすごくないの基準について。
自分はそこまで気にして見ていないので思いついたところだけ。
自分の場合はOP映像レベルで本編が流れているかどうかを作画の判定基準の一つにしています。他には、キャラクター原案などと比べ別物になっていないか(似ているか)、変な構造、姿勢をしていないか(変であっても不自然でなければ気になりません)、明らかな手抜きがないか、です。
基本的に気にならないのであれですが…。個人的に大昔の作品は絵柄の関係もあるんですが、手抜きっぽいなあと見たりすることが稀にあるます。手抜きじゃないんだろうけどあっさりしすぎていて気になるなあ、という感じ。これは好みの問題ですねえ。
語ってみたかったので述べました。
こういうのって受け入れても損にもならねえしなあ。気にならんのですよ。
無駄話なだけに無駄に長くなったなあ…。ついでに意味不明な迷言多し。
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プロフィール
HN:
kirihito
性別:
男性
職業:
へたれ社会人
趣味:
お絵描き、モノ作り、おもちゃ集め、旅
自己紹介:
「ふらぐなんて ないさ
ふらぐなんて うそさ
ねぼけたひとが
かんちがいしたのさ
だけどちょっと
だけどちょっと
ぼくだって しんじたい
ふらぐなんて ないさ
ふらぐなんて うそさ」
フラグなんてしらない、でも夜明けを望むキリヒトです。
ふらぐなんて うそさ
ねぼけたひとが
かんちがいしたのさ
だけどちょっと
だけどちょっと
ぼくだって しんじたい
ふらぐなんて ないさ
ふらぐなんて うそさ」
フラグなんてしらない、でも夜明けを望むキリヒトです。
お気に入り
最高と言えるゲームの一つ。
このジャンルでこれを超えるのはこの先出るのだろうか…。
はまると人生の一部を確実に消費するゲームその2。
学園モードが楽しい。
はまると人生の一部を確実に消費するゲームその3。
戦略ゲームとして楽しい。
はまると人生の一部を確実に消費するゲームその4。
ロマンが溢れてる。男の夢も。
宣伝とか。 たまに買ったものも載ってます。